【小さな宝物】
HSP主婦あおこんです。14年前、初めての妊娠で「死産」を体験しました。
その後凸凹一家ではあるものの、今は家族みんなで笑って暮らしています。
私の心の中にずっと重たい石を落としていた、人生で一番つらかった経験を掘り起こす作業を始めました。
もし読んでいるあなたが同じ経験をしていたり、心が回復していないと感じたら、ここでそっと引き返して下さいね。
当時を思い出しながら、少しずつ書き記しています。表現が曖昧なところや、記憶違いなどもあるかもしれませんが、ご容赦下さい。
前回の記事を読む
最後の夜
眠るのが下手だから、夜の薬がずっと欠かせなかった。子供を授かってからは、もちろん飲んでいない。
この日は、数か月ぶりに薬が解禁された。もう身体のことは気にせず飲んでいいということに、胸がズキンと痛んだ。
薬のおかげでその夜は驚くほど、ぐっすりと眠れた。看護師さんに起こされるまで、10時間近く眠っていたようだった。
こんな時に眠れるなんてと思ったけど、大事な日だからこそ、休ませてもらえたに違いない。
鼓動
朝の診察では、子宮口を広げる為に入れていた「ラミナリア」を抜く。子宮の開きは悪くないようだった。
促進剤一回目は、ほとんど変化なし。
これが最後のエコーになるからと、夫と一緒に見る。
子宮との境が見えないくらい、ぴったりくっついた赤ちゃんの身体は、初期に見た時のように横たわっていた。
前回は小さく丸まっていたのに、今も苦しいだろうに、こんな狭い中で頑張って動いたんだね、ほんとに偉いね。
祈るような気持ちで、心臓あたりを見る。
ちゃんと動いてる。狭い中でも力強く、昨日と同じ様に。
もう頑張らなくていい、なんて私のエゴだったのかもしれない。
「最後まであきらめないよ」「生きてパパとママに会いたいよ」と、訴えるように鼓動が響いてる気がした。
少しでも早く
促進剤を入れると、お腹の張りがひどくなり、赤ちゃんの命綱である「へその緒」は圧迫され、出産まではもたない。
心臓を動かしている最後の姿になると思い、写真をもらった。
促進剤二回目。
2日ほど感じなかった「あの痛み」が少しずつ蘇ってきた。
三回目、2分間隔でどんどん痛みが強くなる。
静かに逝かせてあげられないなら、少しでも早くお腹から出して、ふれてあげたいし、この手に抱きしめたい。
泣くのは後でいい「今は頑張ろう」そう思った。
分娩室
分娩室に入れたのは、外が少し暗くなってきた時間。
この子を、私の身体に戻した処置室の隣に、分娩室はあった。ほんの少し前のことなのに、遠い昔の記憶に感じる。
普段は入れないけれど、夫に分娩室への入室許可が出ていた。私一人につらいことを押し付けたくないと、夫からの要望で。
腰を押したりさすったり、飲み物を用意してくれたり、食事も摂らず心配そうにずっと見守る夫。ほんとうにありがたい。
我が子がそこにいる感覚がないせいか、それとも出したくないのか、先生に言われても「いきむ」がうまくできない。
何度もいきむ中、お腹をぐいぐい押され、いよいよ出産という感じになってきたあたりで、いつの間にか夫は外へ出されていた。
早くとあせる気持ちの中、突然何かぶら下がって
それは「へその緒」だったようで、いつ切られたのかもわからないまま。
でもようやく出産できたんだ。
午後7時32分。142g、18㎝。
世界で一番大事な、私の小さな宝物は、静かに産まれた。