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【亡き祖父の詩】

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HSP専業主婦あおこんです。

私が小学生の時、すでに他界している祖父。もっと小さな頃は、一緒に住んでいた時期もあったらしいけど、その記憶は一切残っていません。

目次

思い出

無口で優しく穏やかなイメージの祖父だった。

思い出は少ないけれど「小さな黒い小銭入れ」から、お小遣いをもらったりしたことが印象深く残っている。

私が、なぜそんな場面を鮮明に覚えてるかというと、小銭を取り出す祖父の手には複数の穴があいていたから。

祖父のふっくらした手には、何かが刺さり回復した跡があった。どう表現したらいいのか、布を下から引っ張ったような感じの皮ふだった。

怪しい傷ではもちろんない。令和の今、生きていたらゆうに100歳を超えている年齢の祖父は、昔戦争に行っていた。

「戦争で玉が当たってできた傷跡」というのが当時の私には、強烈なインパクトを与え、祖父の手のことをよく覚えているというワケです。

祖父の人物像

祖父の死をきっかけに、祖母と同居していた。

なので思い出すのは基本、祖母とのことばかり。手以外のことで「祖父との思い出」と呼べるような場面は、悲しいかなほとんどないに等しい。

親や叔母たちから聞いた話と、私のうっすらある記憶の中、祖父の人物像がぼんやりと見えてきた。

  • 地方公務員的な仕事をしていたが、早期に仕事を辞めた
  • 句を詠んでいた
  • お酒を好んだ

そういえば仕事をしている姿は見たことがないし、家には祖父の詠んだ句が大切そうに額にいれられていたっけ。

大きなウイスキーの瓶が、廊下にズラリと並んでいたのも家の中の記憶として強く残っている。

最近は、控えているけど私もお酒が好きだ。まぁまぁ強いと言われるのでこれは血筋だろうか。

祖父を私なりに一言で表すと「繊細な芸術家」といったところ。

小学校校歌

そんな祖父が昔、校歌の作詞をしたらしいよという話しは聞いていた。

その小学校の出身の人なんかに、何度か話した記憶がある。ただの身内の自慢話しです。

校歌というものは、体育館の皆が目にするところに、でかでかと展示してあることが多い。そしてその中に祖父の名前が記され、何十年も歌い継がれている。

これは孫として、とても誇らしいこと。なのに、どんな詩なのか今日まで知らなかったし、なぜか調べようともしていなかった。

生きた証

一昔前なら、難しかっただろうことが簡単に知れるようになった現代に感謝。

インターネットの力は偉大ですね。ものの数秒でたどり着けました。

祖父が紡ぎだした言葉が、何十年も経った今も歌い継がれてきているのは感慨深いもの。

自分には持ち合わせていない才能に、羨ましくもなる。

こうやって「生きた証」を残した祖父は、子供達が歌う光景を見て何を思うんだろう?

いつかそんな話ができる日が来るのを楽しみに待っている。

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