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【子供たちの頑張り】全力で褒めたいと思う 

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毎日元気に過ごしてくれている娘と、息子に感謝の気持ちいっぱい。

あおこん

HSP専業主婦あおこんです

小さな事で2人は、ケンカばかりしていますがどこの家もそんなものだと思います。

目次

生まれるまでの道のり

不妊症で数年間治療を続け、それでも中々授からなくて年齢のタイムリミットも迫る中、半ばあきらめかけていました。

夫と二人で生きていくんだなと、精一杯やれることは努力したし…と心を決めた頃です。新しい「命の兆し」が見えてきたのは。

嬉しい反面、自分に?まさか?って信じられなくて多分私はずっと戸惑っていた。

婦人科系の病気を何度も経験している為、すぐに安静に入り家でゆっくり過ごす毎日に少しずつ、幸せを感じていた時。

その日は、朝からお腹が痛く不安ですぐに病院にも行きました。エコーでも赤ちゃんの様子を診てもらい、特に変わりはないからと帰宅。

夜、1人で家にいる時強烈な腹痛、大量の出血に襲われ震えながら再び受診しましたが、診てもらった時には羊水がすっかりなくなった私のお腹の中で窮屈そうにしている赤ちゃんが見えました。

その時、まだ17週。お腹から出てきて生きていくことはできません。

この時の記憶はあまりないけど、その後とてもつらい出産を迎えました。この経験は私を、大きく大きく変えてくれた出来事に。

それから後に双子たちが私のもとへとやってきてくれました。前回の事もふまえ
妊娠が分かった時点で即入院。

寝ころんだ状態で、県外の病院まで行き、以前の病気の影響で頸管の長さがなく縛る手術ができず当時ほとんど事例のなかった「頸管を止める手術」というのを受けてきました。

点滴で張り止めを、24時間入れっぱなしの毎日。

副作用で日に日に呼吸がしづらくなってきてレントゲンを撮ってみたら、肺が真っ白になっていたなんてこともありました。この時ばかりは先生も、もうダメかもしれないと思ったと後から聞きました。

生まれてからも 
平坦な道のりではなかった

そんなたくさんの困難も乗り越え、2人は私のお腹にずっとずっとしがみついててくれた7ヶ月でした。

ほんとにありがとう。

7ヶ月でお腹の外へと出てきた2人は産声もなく、危険な状態で体重はわずか1000gほど。すぐに動脈管開存症ということがわかりました。

動脈管開存症とは?
肺動脈と大動脈が細い動脈管という血管によってつながっている疾患、お腹の中では開いていて生後自然に閉じるのが一般的です。

地元では手術もできないということで、順番に「子供専用病院」に転院し、手術も頑張って帰ってきましたが

娘は目も弱くレーザーを当てたりと繰り返し治療していました。

保育器から出てこられ、初めてこの手に抱っこできた時の感動は一生忘れられないものになりました。

それでもまだまだ身体は小さく、母乳は吸えなくて自宅で母乳をしぼり、病院に届けるという毎日はしばらく続きました。

心配が少しずつ減った頃娘の脳に気になるところが見つかり脳室周囲白質軟化症(PVL)と言われました。

いわゆる「脳性麻痺」で、何かしら運動機能に支障がでるかもしれないということです。 

あおこん

7ヶ月で生まれてきたんだし、そういうこともあるよね

命があるだけでありがたかったからその時の私は、わりと楽観的に捉えられてて。ある程度の覚悟はしてあったし、「大丈夫一緒に頑張るよ」って思えたな。

今も心に留めている事


色々な経験をさせてもらいました。子供達もたくさんしてきました。きっとこれからも困難はあるのだと思います。

2人が家にやっと帰れることになり、NICUの弟の担当看護師さんから連絡ノートにメッセージをいただいたその言葉が今も胸に残っています。

それは大きくなった息子への、手紙形式で綴られていて

小さなからだで頑張った事、お姉ちゃんがいつも隣にいた事、しんどい時には 
たくさんの人に助けてもらった事。


これからあなたも自分が受けた、たくさんの優しさで大切な人達を助けてあげてほしい、心優しい大人になってねと締めくくられています。

字が読めるようになってからは、2人にも繰り返し読んでもらってます。何より自分を大事にして欲しいから。

これから先大きくなった時、困難に出会ってしまった時、そのメッセージがきっと2人を助けてくれると信じています。

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