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【私たちはまだ、繋がっている】ママとの約束

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HSP主婦あおこんです。14年前、初めての妊娠で「死産」を体験しました。

その後凸凹一家ではあるものの、今は家族みんなで笑って暮らしています。

私の心の中にずっと重たい石を落としていた、人生で一番つらかった経験を掘り起こす作業を始めました。

もし読んでいるあなたが同じ経験をしていたり、心が回復していないと感じたら、ここでそっと引き返して下さいね。

当時を思い出しながら、少しずつ書き記しています。表現が曖昧なところや、記憶違いなどもあるかもしれませんが、ご容赦下さい。

始めから読む①

始めから読む②

始めから読む③

始めから読む④

始めから読む⑤

始めから読む⑥

目次

甘かった自分

昨夜から出ていた水分が朝には、ほとんど感じなくなっていた。これが意味するものは何なのか。

診察時間。まだ「水風船」のような状態の卵膜は、さわってわかる位置に、少しのふくらみを持ったまんま残っているそう。

でも膣の中には小さな穴が開いていて「多分そこから羊水が漏れ出しいる」と、先生は言う。

エコーを見せてもらった。昨日より一層せまく、ほとんど羊水のない子宮。その中でも、まだ心臓は力強く鼓動をうっている理由が私には分からなかった。

小さな身体の大きな生命力に、只々驚かされている。

子供を身ごもり10ヶ月の間、なんの問題もなくスクスク育ち、無事に出産。

自分の身体にリスクがあると知っていたのに、大丈夫なんて何故か自信を持ち、春には当たり前にこの手に抱ける。

そう思っていた、そんな保証なんてどこにもないのに。甘い、本当に。

まだ一緒

そういう想像をしていなかった訳じゃない。
なにかあればすぐに入院できるよう準備をし、部屋も整え、産まれた後のことを考えられだした矢先のこと。

今、自分の身に起こっている現実を簡単には受け入れられなかった。でも、覚悟を決めなければならない時間が、すぐそこにやってきていた。

昨夜からの点滴がはずされていく。もう「張り止めの薬」は必要ないということ、今日はこのまま過ごすだけ。

明日は朝から子宮口を広げる処置を行う。この子を、私の中から出してあげる日は明日だ。

母と兄が入院の荷物を持って病院にきてくれた。事情を話そうとする。だけどうまく言葉にならない、涙で声が詰まってしまう。

母も静かに泣いていた。

本当なら家族三人で祝う夫の誕生日だったはずなのに、なぜ私はこんなところにいるんだろう?

苦しい

つらい

誰か助けて

どうしてこんな目にあうの

生きてるあの子に、もう会えないの

どんなに考えても答えは出ないから、自分を責め、涙を流すだけの空っぽの時間が流れていく。

でもまだ私の中にいるまだ繋がっている。2人は一緒。

ママとの約束

夜には夫も病院に来てくれ、明日の予定を話す。仕事は休めるのかな、理由をを言うのも、きっとつらいよね…ごめんね。

三人で過ごせる最後の夜、夫の泊りをお願いしたけど無理だった。

ベッドも間に合わないし、主治医も不在。疲れている夫に負担はかけられないし、また二人ぼっちの時間。

昼間、先生に今のお腹の中の状況を聞いていた。

胎盤からの栄養は運ばれているけど、羊水がなくなり狭くなった子宮は、呼吸がしにくく息苦しい状態だということだった。

酸素がいかず、首を絞められているような状態だそう。嘘であって欲しかった。

私の身体が、この世界で一番大切な人を苦しめてる。お腹の中は居心地が良かったはずなのに、今は一番苦しい場所に変わっている。

自分はベッドに横になり食事をとり、空気を吸って生きている。

何を思ってるんだろう?ごめんね、ちゃんと産まれたいね。

この子がお腹に宿ってから、私はずっと話しかけ続けていたことがあった。

「春まではお腹の中にいるんだよ」


「まだ出てきちゃだめだよ、頑張ろうね」


「大丈夫だよ」って。

きっと今も、ママとの約束を守って懸命に、ここにいてくれてるんだ。

その夜やっと私は気付いた。もうこれ以上苦しませてはいけない。

この子は充分頑張った、事態は変わらないから、だからこそ早く産んであげようと。有難う。

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