【二度目の夜の病院で】最悪の現実を知る
HSP主婦あおこんです。
14年前、初めての妊娠で「死産」を体験しました。
その後凸凹一家ではあるものの、今は家族みんなで笑って暮らしています。
私の心の中にずっと重たい石を落としていた、人生で一番つらかった経験を掘り起こす作業を始めました。
もし読んでいるあなたが同じ経験をしていたり、心が回復していないと感じたら、ここでそっと引き返して下さいね。
- 当時を思い出しながら、少しずつ書き記しています。表現が曖昧なところや、記憶違いなどもあるかもしれませんが、ご容赦下さい。
始めから読む①
始めから読む②
始めから読む③
始めから読む④
始めから読む⑤
深夜の病院到着
祈りながら、やっと病院に到着したのは20分後。すぐそばに車が見える、夫だ。良かった来てくれている。
1人じゃないという安心感はあっても、恐怖心からの身体の震えは一向に止まらないでいた。手をつなぎ二人で婦人科病棟へと急ぐ。
向かう途中、痛みも引いてるし最悪そのまま入院ってことになるかもしれないけど大丈夫と、何度も何度も自分に言い聞かせる。
何か予感めいたものがあったのか、その日の当直医は、今回妊娠へと導いてくれた担当の女医さんだった。
また涙がこぼれそうになるのを必死にこらえ、診察台へと上がる。手早くエコーの準備をしてくれ、それを見た先生の手はなぜか、すぐに止まった。
もう1人の別の先生を呼び、カーテン越しに2人で何かを確認している様子。会話はほとんど聞こえない。
ベッドへの移動をうながされ、一緒にエコーを見ることになり、祈るような気持ちで画面を見る。
そこには、あきらかに一昨日と違う様子が。一目でわかる、丸く小さく小さくなった我が子がいる。下に黒っぽいものも目に入った。黒っぽく見えたそれは、膀胱の下あたりにあった。
痛みの理由と無力な自分
何が起きてるのかわからず聞くと、羊水の入った赤ちゃんを包んでいる「卵膜」という袋が膣から飛び出しているという。
(どういうこと?)
トイレの中で感じた激痛は、卵膜が膣から飛び出す痛みなのだそう。
外へ出た卵膜に引っ張られるように、子宮の中が狭くなっている。自由にお腹の中で動き回っていた子が、今は小さく小さくなっているのが見えた。
瞬時には、先生の説明が何を意味するのか理解できずにいた私達。
袋のほとんどが飛び出ている状態で、一度外へ出たものは自然に膣内に戻ることは「不可能」だということ。
破水は、本格的に始まってないけれど、これから始まると思われるということ。
もし破水しても赤ちゃんは、まだ「17週3日」お腹の外へ出れば、生きることはできないということ。
狭い子宮で小さくなっていても、我が子の心臓は今も必死に動いているのに。あきらめろという選択しか残されていなかった。
たくさんの後悔、でももう遅い。ただ泣くことしかできない、私は無力な存在です。
わずかな可能性にかけ、一晩様子を見ることになった。張り止めの点滴をし、首から上だけしか動かさないよう絶対安静の状態。
夢なら覚めてほしいという気持ちで、泣きながら朝を待つ。でも、もちろんそれが叶わないことは私には分かっていた。
どんなに安静にしても、下から流れ出る水分を一晩中感じていたから。もう破水が始まっている。