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【火葬の日】⑪

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15年前初めての妊娠で「死産」を経験しました。

その後は凸凹一家ではあるものの、家族みんなで笑って暮らせています。

数日ぶりに外へ出ると、抜けるような青空が広がっていました。

火葬場に向かう前に喪服に着替えるため、遠方から駆けつけてくれた義両親や義姉、そして母と夫と共に、一度私達の家へと向かいます。

病院にいる時は「あんなに家に早く帰りたい」と思っていたのに、部屋の中のすべてがあの子を連想させ、余計に寂しさが募りました。

2人で歩いた道も、立ち寄ったお店も、今日の私には直視できません。

病院に葬儀会社からの迎えが来ていたので、今、あの子は私たちのそばにはいません。「早く迎えに行ってあげなきゃ」と、気持ちばかりが焦ってしまいます。

火葬場には、それぞれの悲しみを抱えた人たちがたくさんいました。街中や病院にいる時よりも私の寂しさを少し和らげてくれた気がします。

ここでの記憶は、今でも曖昧で。覚えているのは、ずらりと並んだ陶器の中から「一番小さな入れ物」を選んだこと。そして、偶然会った同級生と目を合わせられず、気付かないフリをしてしまったことだけです。

小さな骨壺と一緒に病院へ戻ると、もう夕方になっていました。

朝からずっと忙しい日でしたが、夫は私の夕飯が終わるまで一緒にいてくれました。少しでも私を1人にしないようにという優しさが心に染み、嬉しかったです。

夜になり、眠るための薬が切れて目が覚めてしまいます。現実に引き戻されると涙は止まらず、思考もぐるぐると回り続けます。「ありがとう」と思いたいのに、「ごめんね」という言葉を繰り返すだけでした。

そんな時、隣の病室から声が聞こえてきました。苦しそうな女の人の声――陣痛です。

私は思わずあの子のお骨を抱きしめ、その声に聞き入ってしまいました。
「赤ちゃん生まれるんだね。痛いよね、絶対に痛いよね」

顔も知らないその親子の出産を、私は心の中で勝手に応援し、祈っていました。
どうか無事に、元気に出産できますように、と。

羨ましい気持ちが全くないとは言えば嘘になります。だけど不思議と妬ましいとか、つらいとか、負の感情は湧いてきませんでした。

素直に「頑張れ」と思って応援できている自分に、少しだけ救われ嬉しくなりました。こんな優しい気持ちにさせてくれたのも、きっとこの子のおかげです。

「いつかきっと、いつかはわからないけど、私はまた笑える日がくる」そう信じることができた夜でした。

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